親の接し方具体例~こんな接し方をしていませんか?~
小学校の頃から成績トップ、運動もできて明るく真面目でしっかり者で学校の先生や両親に従順な、まさに優等生のK美さんは両親にとって自慢の娘でした。
だからこそ、とても厳しくK美さんに接していて、少しでもテストの点数が落ちたらきつく叱りました。
「全然ダメじゃない!もっと頑張りなさい!!」
「こんなんでは良い高校にいけないよ!」
誰かと比較する事で競争心をあおって意識を高めると思い、ことあるごとに誰かと比較しました。
「○○ちゃんに負けてるよ!」
「もっと○○君を見習いなさい!」
そして、自分達の夢をK美さんに託しました。
「お母さんは高卒だから、K美は良い大学に入るんだよ。」
K美さんの中では、とにかく両親に怒られない為に必死だったようです。
そんな期待を一身に背負ってK美さんは中学に入りました。
両親のK美さんに対する態度は今までのように、いや、むしろ今まで以上に厳しくなりました。
所が中学1年生の後半から、K美さんに徐々に変化が見られるようになってきました。
反抗はしないものの両親との会話が減り、自分の部屋にこもって友達と長電話したり、今までとは違ったジャンルの音楽を夜遅くまで聞くようになり夜更かしする事が多くなりました。
机に向って勉強する事がだんだん減っていき、学校に教科書をおいて帰るようになりました。
それでも最初のうちはかろうじてテストは今まで通りトップクラスを保っていたのです。
でも、それも時間の問題でした。
小学校までに頑張ってきた貯金はすぐに尽きて、成績はすぐにどん底に落ちました。
両親は激怒しました。
「こんな成績をとってくるなんて何考えてるんだ!」
「成績が元に戻るまで電話は禁止。毎日3時間は勉強しなさい!」
ありとあらゆる言葉で叱り続けました。
その間、ずっと黙っていたK美さんでしたが
「こんな子に育てた覚えはない!」
という母親の言葉を聞いた瞬間
「私はあんたたちのおもちゃじゃないからっ!」
と、今まで聞いたこともない程大きく苛立った声を発しました。
初めて反論した娘に父親は思わず手を出してしまいました。
K美さんは泣きました。
でもその涙は悲しいとか反省とかの思いではなく親に対する怒りと悔しさによるものでした。
それ以降、K美さんは完全に人が変わってしまいました。
髪を茶色く染めてピアスをあけ、制服のスカートが短くなりました。
学校に遅刻する日や休む日が増えて、親とは全く口をきかなくなりました。
親の期待、周りからの優等生だという評価、常に「良い子」でいなきゃいけないというプレッシャーが
常に「良い子」を演じなきゃいけないという事の苦痛や疑問に変わっていったのでした。
その信号を少しずつ発していたにも関わらず、誰にも気付いてもらえずに最終的には、自分の話を誰にも聞いてもらえない上、力でねじ伏せられようとした結果、深い溝が両親との間にできてしまったのです。
そしてその修復には、まだまだ時間がかかりそうです。



